原宿がゴーストタウン化!?どのように栄えてどうして廃れるのか原因解説。

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Nagisa

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現在、原宿がゴーストタウン化していると言われていることをご存知でしょうか。若者に大人気で時代の最先端を走り続けている原宿がどうしてゴーストタウン化しているのか気になったのでまとめてみました。

原宿はどうやって繁華街になったか

今となっては若者の街として根付いた原宿ですが、どのようにして栄えてきたのか知らない方も多いと思います。順を追って解説していきます。

外国人文化の形成

戦後の原宿には、ワシントンハイツと呼ばれる米軍の施設が設けられており、米軍人の家族に向けて造られた宿舎などが存在していました。その後、1961年に正式に日本に返還され、ワシントンハイツがあった場所には東京オリンピックの選手村が建設され、外国人文化に拍車をかけました。

若者の流入

1960年頃からこうした外国文化に影響を受けた若者が流入し、「原宿族」と呼ばれるようになりました。この頃から本格ブティックなどの施設が建設され、一気に若者とファッションの街として人気になっていきました。

竹下通りの誕生

1977年に原宿竹下通り商店会が発足され、商店街化が進められました。(商店会によると竹下通りの出入り口に立つ複合ビル「パレフランセ」の開業した1974年を竹下通り元年としています)

1977年にはクレープ専門店「マリオンクレープ」や「カフェ・クレープ1号店」が開店し、これをメディアが取り上げることで、原宿を代表する商品になっていきました。

1980年代の原宿

1979年に「ブティック・竹の子」より発売された衣装を着用して、パフォーマンスをする「竹の子族」が登場しました。

1987年には元祖タレントショップである「元気が出るハウス」(番組名:天才・たけしの元気が出るテレビ)が開店し、その後竹下通りは多くのタレントショップが立ち並ぶ商店街へと変化を遂げました。

1990年代の原宿

1990年代にはヒップホップ文化や、ゴシックアンドロリータ(ゴスロリ)といった日本のサブカルチャーが生まれ、原宿竹下通りは若者ファッションの街として根付いていきました。

ゴーストタウン化の原因

そんな原宿が現在ゴーストタウン化していると言われています。竹下通りから少し逸れると、空き家やテナント募集の建物が多いためです。どうしてこうなったのかを解説していきます。

外国人による土地や物件の購入

現在の竹下通りを歩いていると、外国人の多さに衝撃を受けると思います。実際の肌感覚では半数以上が外国人ではないかと思うほどです。そんな中、この円安社会では土地や物件は外国人にとって特売セール状態にあります。つまり、外国人が土地や物件を購入しまくっているということです。これにより、家賃や土地の価格が急激に高騰化しました。さらにコロナによる経営の悪化などが伴い、土地代、家賃を払えないような個人経営のお店などはどんどん閉店していく事態になっているのです。

夜に弱い

原宿には居酒屋や夜のお店がほとんどありません。人は夜になると近くの新宿や渋谷に流れていきます。結果として、ホテルなどが立つことはなく、昼間の竹下通り以外は盛り上がらないいったことが起こっているのです。

他にゴーストタウン化が進む場所

原宿のようにゴーストタウン化している場所は他にもあります。代官山、世田谷、湾岸エリアなどは原宿と理由は違えど、ゴーストタウン化が進んでいると言われています。どこもコロナの影響が大きくありました。

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